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​日本のクリスマス
​日本のクリスマスの歴史を文学の話題とともに辿ります。
クリスマスの飾り
​ 外交官やお雇い外国人の催すクリスマスに招待される日本人は一部のハイソな人たち。
 遠目に煌びやかな異国の祝祭だったクリスマスが、一般の人々に広まったのは明治30年ころからでした。

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クリスマスの飾り


 居留区での宣教活動が許され徐々に広まっていくクリスマス文化。世の中にクリスマス商戦が爆誕したことで、一般の人にも受け入れられていきます。
 
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銀座京橋明治屋のクリスマスの飾りからクリスマス商戦がはじまる

 下田に赴任したハリスが禁教下の中寂しく迎えた降誕祭も明治30年代には、賑やかなクリスマスのお祭りとして一般の人々に広まっていきます。そのきっかけとなった出来事は、明治33年、輸入食品店の明治屋が、銀座店をクリスマス仕様に飾ったことでした。賑やかな飾りは人々を誘い、クリスマスには銀座にくり出すという文化が生まれていきました。
 
クリスマスのあかり
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 子規とクリスマス
 クリスマスをはじめて季語として取り入れたのは正岡子規。
その句を年代順に並べてみると、クリスマスが、明治の人々にしだいに身近に、そして賑やかになっていくのが伝わってきます。
​ 明治29年22歳で喀血して以来、病苦と闘いながら文学の路をゆく子規。
​ クリスマスに向けたその眼差しは、暗がりの中の灯のように優しく穏やかです。
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竹久夢二 画
臘八のあとにかしましくりすます
(明治25)
八人の子どもむつましクリスマス
(明治29)
クリスマスに 小き會堂の あはれなる
(明治30)
贈り物の数を尽くしてクリスマス
(明治32)
臘八:ろうはち。仏教の行事。
會堂:教会。
ホリデープレゼント
​ 正岡子規 『ランプの影』(明治 33.1.10)
​ 明治初期の新聞記事で、クリスマスは”耶蘇の祭日”    ”耶蘇降誕の宵祭り”と呼ばれています。”耶蘇”とはもちろんキリストのことですが、子規の短編『ランプの影』には耶蘇の顔が登場します。
 


​ 『ランプの影』が書かれた明治33年、子規はほぼ寝たきり状態でした。
​ 寝むれずに天井をみつめているうちに、天井の木目が人の眼に見えはじめたり、襖の模様が天狗に見え始めたり、、。暮れを迎えたある日、ガラス戸に映ったランプの火影に武士や女の顔が次々にあらわれるというお話。
​ 幻想的で絵画的な、動きがあって映像的にも感じる短編です。

 
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​ 一度現れては消えた耶蘇の顔が最後にもう一度現れた時、子規は”これではいかぬ”と思って首を引きます。
 しかし、その次の瞬間、自分の末期の顔がそこに浮かんでくるのでした。

 ユーモラスかつリズミカルにはじまり、哀しみの中に閉じる物語。死をみつめ、文学を想い、生きることに粘り強かった子規。その情熱に触れられる一篇。


『ランプの影』が書かれた明治33年の12月24日にとった写真は、子規が最後に撮った写真となりました。
クリスマスのご馳走
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 明治時代のクリスマスケーキ!?想像です、、
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禁教時代のクリスマスのご馳走は?
​ 阿蘭陀冬至
 キリスト教が禁じられていた江戸時代、長崎の出島では、”冬至を祝う”という形でクリスマスのお祝いをしていました。メインのご馳走として豚の頭の丸焼きを盛り付けたボアーズヘッドが饗されていたことが記録に残されています。





 

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 隠れキリシタンのナタラの日
 禁教令の下、二百数十年にわたって、信仰を守り続けたキリシタンたち。”霜月祭り”、”ご誕生”、また、ポルトガル風にナタラと呼ばれていました。キリスト教に必要なパンと葡萄酒のかわりに酒と刺身の膳やご飯と吸い物の膳が並びました。


 
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​ ボアーズヘッドは、ヨーロッパのクリスマスのご馳走。
 冬至の祝祭に由来があり、口にりんごやオレンジを詰めて焼いた雄豚の頭部にハーブなどを飾り、銀皿に載せたもの。合唱と一緒にテーブルに運ばれました。
​ 森鴎外の翻訳短編
 

 
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森家では毎年”降誕祭”をしていました。
 ご馳走を食べたり贈り物をもらったり、それは子供達にとって、とても楽しい行事でした。
 
​ 鷗外のふるさと津和野には、長崎の隠れキリシタンが預けられ殉教の地となった歴史があります。鴎外はこのキリスト教徒迫害について、語ることはありませんでした。


 
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​津和野 乙女峠マリア聖堂
 森鴎外はキリスト教やクリスマスの物語を翻訳しています。奇跡を描いた聖人伝とイブに繰り広げられる人間劇をご紹介したいと思います。
『聖ジュリアン』(原作フローベル)
 森に囲まれた城の領主の子ジュリアンの物語。
ジュリアンは、ある日小動物を殺したことから、狩りに熱中していきます。ある日、鹿の親子を殺し、言葉を使うその鹿から「おまえは自分の父母を殺すであろう」と予言されます。恐ろしくなったジュリアンは城をでるのですが、その予言は真実となり自分の両親を手にかけてしまいます。
 人々から邪見にされながら贖罪の日々を過ごす彼を、ある冬の日、弱った老人(らい病を患う)が訪れます。乏しい食料と飲み物を与え、冷え切った男の身体を素裸で温めるジュリアン。老人はキリストとなりジュリアンはキリストとともに昇天するのでした。
『一人舞台』(原作アウグスト・ストリンドベリ)
 クリスマスの夜、カフェで甲夫人と乙嬢が会うことから物語が始まります。甲夫人は夫の愛が乙嬢に向けられていると嫉妬しています。嫉妬心と優越感が煮えたぎる言葉の裏には、夫の愛情に対する不信があるようです。
 夫と子供を持つ甲夫人、夫の心を占めている乙嬢、、乙嬢の一人身のクリスマスを見下げる甲夫人の心の内には大きな不安があります。その不安は止めようもなく膨らんで、、
 気持ちを落ち着かせるために飲む薬チョコレートだけが本当の恋の勝利者を知っているかもしれません。
疎開先のクリスマス

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昭和11年、日本は日中戦争へと突入します。戦争の拡大とともに、キリスト教は再び受難の時をむかえ、賑やかだったクリスマスも自粛へとむかいます。
クリスマスのあかり
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 戦争の終わった年、鴎外の娘杏奴(アンヌ)は、疎開先でクリスマスを迎えました。50歳の時に洗礼を受けた彼女は、疎開当時は36歳くらい、画家である夫小堀四郎との間に9歳のお嬢さんと7歳の坊やがいました。
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 彼女のエッセイ『クリスマスの幸福』に、疎開先の雪の深いT高原で迎えたクリスマスの様子が描かれています。クリスマスの飾りは、缶詰に雪を詰め小枝を縦にさして、色紙を星や鐘、サンタの形に切り抜いて吊り下げました。
 ご馳走は甘くないパンケーキ。それでも薄紅色の色子でメリークリスマスと書かれてあったそうです。

 (クラウス・クラハト克美・タテノ=クラハト NTT出版 『鷗外の降誕祭』より)
終戦とクリスマス

太宰治 『メリイクリスマス』
 ー東京は、哀かなしい活気を呈していた、とさいしょの書き出しの一行に書きしるすというような事になるのではあるまいか、と思って東京に舞い戻って来たのに、私の眼には、何の事も無い相変らずの「東京生活」のごとくに映った。ー   本文より

​ 敗戦の年の暮れに太宰の意地が垣間見える短編です。
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​うなぎの小串を食べる場面が印象的でした!


 終戦まもない東京の暮れ、文筆家の笠井38歳は、ふらりと入った書店で、顔見知りのうら若い女性シズエと再会します。かつて彼女の母は笠井にとって特別な女性でした。
​ ところが東京の街を20歳のシズエちゃんと歩くうちに、自分に気があるのかしら、、と自惚れはじめる笠井。そこに明かされる真実。
 物語は東京の喧騒にむかって放たれる「ハローメリイクリスマス」の挨拶と「東京相変わらず。以前と少しも変っていない。」という一文で閉じられます。
 粋で優しい男が馬鹿を装うという印象。また、どこか意地もあるところがいいと思いました。
平成のクリスマス
森見登美彦 『太陽の塔』
京都のクリスマスを舞台に失恋を描く森見ワールド。デビュー作だそう、、実は未読です。クリスマスまでには読みたいです。
クリスマスマーケットストール
​ 『クリスマスの嵐が吹き荒れる京の都、巨大な妄想力の他に何も持たぬ男が無闇に疾走する。失恋を経験したすべての男たちとこれから失恋する予定の人に捧ぐ、日本ファンタジーノベル大賞受賞作。』(新潮社 書籍案内)、、すごく面白そうです。

 森見さんはエッセイの中で、『太陽の塔』の登場人物のモデルとなった親友について語っていらっしゃいます。
​ 大学の卒業式を終えた二人は、サントリーの山崎蒸留所へ乗り込み「40にしていまだに迷っている」にちがいない将来の自分たちを見通して、ウィスキーの小瓶を買い、互いに40歳をむかえた時に飲むと約束をかわしたそうです。
​ その友情は今に至るまで続いているそうです。素敵ですね。
 お読みいただきありがとうございました。
 楽しむのが下手な印象のある日本人ですが、クリスマスというお祭りを生活に取り入れて、日本版クリスマスとして定着していくのをみると、案外暮らし上手なのかもしれませんね。
 クリスマスが近づくと心が自然に弾んできます。愛らしくて可愛いくて光のイメージがあります。
 
​ ところで、萩原朔太郎は、『クリスマスの悲哀』という記事(昭和11年 朝日新聞)の中でクリスマスは知識人のためのお祭りだ、と言っています。当時はそんな感じだったのかしらん?と不思議に思いました。
 

​良いクリスマスを~♪♬

次回は、本旅、津和野散歩や城崎散歩を紹介したいです。
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クリスマスとは何ぞや
我が隣の子の羨ましきに
そが高き窓をのぞきたり。
飾れる部屋部屋
我が知らぬ西洋の怪しき玩具と
銀紙のかがやく星星。
我れにも欲しく
我が家にもクリスマスのあればよからん。
耶蘇教の家の羨ましく
風琴おるがんの唱歌する聲をききつつ
冬の夜幼なき眼めに涙ながしぬ。

​                  

 萩原 朔太郎

※クリスマスが日本に定着するまでについて、くわしく知りたい方は(クラウス・クラハト克美・タテノ=クラハト共著 角川書店)『クリスマス』、(同著、NTT出版)『鷗外の降誕祭』がおすすめです。今回の記事についても参考にさせていただきました。
 あと正岡子規について知るために、今回ドナルド・キーン著 
角地幸男訳 新潮社 『正岡子規』を読みました。こちらもおすすめです。

​ 鴎外翻訳『一人芝居』子規の『ランプの影』太宰『メリイクリスマス』は青空文庫で読むことができますので、よろしければぜひ!
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