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翼文庫
Little Hiyori and Tyobi
『坊ちゃん』 絆の形
~蕎麦粉で作る蕎麦湯~
無鉄砲で一本気ゆえに空回りしてしまう青年の奮闘を描く『坊ちゃん』。
今回は、『坊ちゃん』のちょっと気になるスィーツを紹介したいと思います。
それは、枕元に差し入れられる蕎麦湯です。
坊ちゃんの唯一の味方”清”が用意してくれるのですが、、
…折々は自分の小遣で金鍔(きんつば)や紅梅焼(こうばいやき)を買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉を仕入れておいて、いつの間にか寝ねている枕元まくらもとへ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼うどんさえ買ってくれた。(『坊ちゃん』本文より)
そば粉で作った蕎麦湯って飲んだことありません。
寒い夜に、枕元にもってきてくれるとは、、。ホットミルクみたいなイメージですね。身体も気持ちも温まって良く寝れそうです。
そば湯 作り方
そば粉に熱湯を少しずつ加えて行きます。(だまになってしまうので)トロッとした感じにしあげます。
蜂蜜で甘さをくわえて飲んでみました、、うっ、、麺つゆをたらしたほうが自分は好きでした。
清は、坊ちゃんの家の下女です。
お菓子をくれたり蕎麦湯を差し入れたり、どうして清は、こんなにも深く坊ちゃんに関わっていくのでしょう。
『親譲りの無鉄砲で、、』という書き出しが有名ですが、坊ちゃんは危なっかしい人物です。融通が利かない性格から周囲や家族とうまくいってません。
強がってみせる坊ちゃんが、拠り所を必要としていることを、清は、よくわかっていました。
かいがいしく世話をしながら、「あなたは、真っ直ぐで良いご気性です。」と常に肯定する清。
東京から遠く離れた坊ちゃんは、松山の空を見上げて、清のことを思います。
松山についてすぐに清に手紙を出したのですが、その返事がなかなか届かずやきもきします。
教育もない身分もない婆さんだが、人間としてはすこぶる尊とい。今まではあんなに世話になって別段難有いとも思わなかったが、こうして、一人で遠国へ来てみると、始めてあの親切がわかる。越後の笹飴が食いたければ、わざわざ越後まで買いに行って食わしてやっても、食わせるだけの価値は充分ある。清はおれの事を欲がなくって、真直な気性だと云って、ほめるが、ほめられるおれよりも、ほめる本人の方が立派な人間だ。何だか清に逢いたくなった。(本文より)
自分を心配してくれて、関わってくれた清。
その優しさは、そば湯の温かさが身体に染みていくように、坊ちゃんに伝わってたんですね。
あ~美味し!!
清の優しさが内側から坊ちゃんを支えたように、ふと出会った言葉が心の灯となることも、、本との出会いもその一つ。そんな本に出会いたいですね。
さて、清と似た人が、太宰の『津軽』にも登場します。幼い太宰に本を読むことを教えた人です。子どもに本の愉しさを経験させるのにとても的を得た方法です。
ちょっとご紹介したいと思います。
太宰治 『津軽』
たけのおやつ
太宰の「津軽」には、育ての親として”たけ”が登場します。
「津軽」は、作家として成功した太宰が故郷津軽を訪ねるお話。
どうしても会いたい人、それが”たけ”です。
私がたけという女中から本を読むことを教えられ二人で様々の本を読み合った。たけは私の教育に夢中であった。私は病身であったので寝ながらたくさん本を読んだ。読む本がなくなれば、村の日曜学校などから子どもの本をどしどし借りて来て私に読ませた。私は黙読することを覚えていたので、いくら本を読んでも疲れないのだ。(『津軽』本文)
幼い太宰に本を読むことを教えた”たけ”
・二人で様々の本を読み合った
・子どもの本をどしどし借りて来てくれた!
すてきです!
たけとの再開をはたした太宰は、「そのように強くて不遠慮な愛情のあらわし方に接して、ああ、私はたけに似ているのだと思った。」と自分の中に確かにたけを感じています。
『坊っちゃん』の清に似ています。
さて、久しぶりに会ったたけから餅をすすめられると太宰はことわります。
「餅ではないんだな。本を読むことは教えたけれど、酒やたばこは教えてないぞ」というたけ。
この時たけが、戸棚の重箱から出して、もてなそうとしていた、太宰が結局口にすることのなかったお餅、、”干し餅”ではないかな、と思います。
東北では、餅を寒い冬の軒につるして凍らせ「干し餅」として保存しました。冬場の食料としてだけでなく、農作業時の一服休みや子供のおやつ、おみやげ用など、広く用いられてきました。
さくさくとした独特の食感と自然の甘味が美味しいそうです。
宮沢賢治『ゆきわたり』
~黍団子~
さて、お終いに紹介したいのは、宮沢賢治『ゆきわたり』です。
雑穀スィーツと聞いて、真っ先に思い浮かべるお話といえば、やはり桃太郎の黍団子。
黍(きび)団子を貰ったくらいで、鬼ヶ島への鬼退治について行くなんて、、。桃太郎には、特別なカリスマ性があったに違いありませんね。
繋がるところに”素朴で美味しいスィーツ”あり!
宮沢賢治『ゆきわたり』でも、黍団子が”絆のスィーツ”として登場します。
狐の紺三郎と知り合い、きつねの幻燈会に参加した四郎とかん子の兄妹。
二人は、幻燈会で黍団子を出され、食べざるべきか、食べるべきか、迷います。
きつねは人を騙すというけれど、、迷う二人、じっと見守るきつねたち、、。
岩手には、たかきび粉、もちあわ粉、いなきび粉などの雑穀を混ぜ合わせて作る雑穀スィーツというべき、お団子があります。
『ゆきわたり』に登場する黍団子は、いろも少し黒っぽいこの雑穀スィーツではないかと思われます。
「狐こんこん狐の子、狐の団子は兎のくそ。」
すると小狐紺三郎が笑って云いました。
「いいえ、決してそんなことはありません。あなた方のような立派なお方が兎の茶色の団子なんか召めしあがるもんですか。私らは全体いままで人をだますなんてあんまりむじつの罪をきせられていたのです。」
四郎がおどろいて尋たずねました。
「そいじゃきつねが人をだますなんてうそかしら。」
(『ゆきわたり』本文より)
四郎とかん子は、このあと狐の紺三郎に招待されて、森の中ので催される幻燈会に行くのです。
四郎とかん子は、黍団子を食べたでしょうか、絆のスィーツになったのでしょうか?
お読みいただき、ありがとうございます。
絆のスィーツ、、どうでしょう?
「坊ちゃん」や「津軽」が、目に見えない絆の存在をハッキリと描いているのに対して、賢治の物語は、ちょっと違った雰囲気になっています。
きつねの幻燈会に行けるのは11歳以下のこどもしか駄目だと説明されて幼い二人で出掛けたり、四郎とかん子のお兄さんはそのことに「狐なんてなかなかうまくやってるね。」って言ったり、、。何かを信じるのにも条件があるようです。
狐という違う文化との出会いを描いていることもあるでしょう。
賢治や新見南吉、小川未明など日本の児童文学、実は、かなり大人向けの文学だったりするので、二人で読み合う時は、相手の自由な意見を否定せずに聞きたいものです。
~おしまい~
お読みいただきありがとうございました。
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