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​~里山散歩~
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里山の自然に触れると、心が柔らかくなっていくのを感じます。
どうしてでしょう?
答えを探しに、物語の中の森や山を散歩してみたいと思います。
緊張する心をほどくには?
 ~宮沢賢治『セロ弾きのゴーシュ』~

 
 
 生きてれば、時には辛いことや悲しいことがあります。
イライラしたり卑屈になったり、そんな時は心がギュッと縮んでいる気がします。

 ゴーシュは、町の活動写真館の楽団でセロを弾いているのですが、上手く弾けずに楽長にいつも叱られていています。
 
 町のコンサートが近づいてきたある日、ゴーシュは楽長に厳しく叱られてしまいます。怒られるのは誰だって嫌なものです。ゴーシュはどうしたでしょうか。

 ゴーシュはその粗末な箱みたいなセロをかかえて壁の方へ向いて口をまげてぼろぼろなみだをこぼしましたが、気をとり直してじぶんだけたったひとりいまやったところをはじめからしずかにもいちど弾きはじめました。(『セロ弾きのゴーシュ』本文より)
 
 すごい、、怒られても気持ちを持ち直してしずかに練習するなんて、、。
ゴーシュはセロ(チェロ)が、本当に好きなんですね。
 ん、まてよ。
 でも、この時ゴーシュの心はどこか縮こまっていたのではないでしょうか?
 
 ゴーシュはセロを家に持ち帰って練習を始めます。​ゴーシュの家は町外れの川のそばのこわれかけた水車小屋でした。

 夜中もとうにすぎてしまいゴーシュはもうじぶんが弾いているのかもわからないようになって顔もまっ赤になり眼もまるで血走ってとても物凄い顔つきになりいまにも倒れるかと思うように見えました。
 そのとき誰かうしろの扉をとんとんと叩ものがありました。

(セロ弾きのゴーシュ本文より)
 
 きっとゴーシュは否定されて、辛かったし、悔しかったし、悲しかったに違いありません。苦しい気持ちがもつれてあって、神経が尖り、心がカチカチに緊張しています。

 そんなゴーシュのもとに、ねこやかっこう、子狸や野ネズミが代わる代わるやってきます。
 ゴーシュは、訪れる動物たちの相手をしていきます。​
すると、ゴーシュの緊張した心も少しずつほどけていきます。

 その時誰かうしろの扉をとんとんと叩くものがありました。

 『セロ弾きのゴーシュ』は、困っている若者の心に”とんとんと叩くもの”が訪れる物語です。

 ”とんとんと叩くもの”は、どこから来たのでしょうか。
​きっとそこに、心が柔らかくなる秘密が隠されているのでは!?
 
 ちょっとその前に本の紹介とTea  breakを!
 ~本の紹介~

「生物の多様性を五感でとらえる 自然観察のポイント」


 
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 パッと見にはわかりにくい生物の繋がりやその多様性に気付かせてくれる一冊です。
​ (毛虫が実は光合成をしなくなった古い葉を食べて、糞をすることで木の成長に役立っている!もしエノキが絶滅したらどんなことが起こるのか?
自然を見る時のポイントが詳しく載っています。)
文一総合出版 櫻谷 保之 (著)
​    ~Tea break~

第六交響曲

 ゴーシュの楽団が練習していた曲は”第六交響曲”ですが、作曲者は明かされていません。でも賢治は、沢山のレコードを手放す中で、ベートーベンの第六交響曲を長く手元に持っていたそうです。​
 
 ベートーベン第六交響曲はベートーベン自身によって”田園”ど名づけられています。

 







 
 これらの各標題もベートーベン自身によってつけられました。ベートーベン自身がこうしたタイトルをつけている曲はとても珍しいそうです。

 愉快な感情の目覚め!楽しい!集い。喜ばしい感謝の気持!

 ベートーベンは激しい気性で度々かんしゃくを起こしては、周囲を引かせていたそうです。でも落ち着いている時はとても静かな人だったとか、、

​ かんしゃくを起こす人、まわりは大変ですよね。でも、かんしゃくを起こす人の心は、実は苦しさのあまり緊張しているのかもしれません。

 苦難の人生を歩んだベートーベンは、森を愛していました。度々ウィーン郊外の森に散策に出かけました。ベートーベンは、自然が、心を喜びへと揺り動かすことを誰よりも知っていたに違いありません。
第一楽章「田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め」
第二楽章「小川のほとりの情景」
第三楽章「田舎の人々の楽しい集い」
第四楽章「雷雨、雨」
第五楽章「牧歌 嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち」
生きていく環の中に

 さて、第六交響曲が”田園”であったかどうかはさておき、町のはずれにあるというゴーシュの家は、きっと里山のふもとにあったと思います。
 
 病気の子どもを連れた野ネズミのお母さんは言います。
 
「だって先生のおかげで、兎さんのおばあさんもなおりましたし、狸さんのお父さんもなおりましたし、あんな意地悪のみみずくまでなおしていただいたのにこの子ばかりお助けをいただけないとはあんまり情ないことでございます。」
 
 具合の悪い動物たちは、床下でゴーシュのセロを聴くと血のめぐりが良くなって病気が治ったというのです。
 
「何だと、ぼくがセロを弾けばみみずくや兎の病気がなおると。どういうわけだ。それは。」

 ゴーシュはびっくりして叫びます。動物たちの調子を良くしようとして弾いていたわけではありませんから。
 ゴーシュの音楽が、動物たちを揺さぶって刺激を与えて、血のめぐりをよくしてくれていたお返しに、動物たちもゴーシュのガチガチの心をノックしに来たんですね。

 あれあれ、、これって里山で起こっている不思議な循環に似ていませんか?
 

 ゴーシュが知らない間に、野山の動物たちの”生きていく環”の中に入っていたなんて本当に面白いと思います。

 ゴーシュの家のドアを叩く動物たちは皆お喋りです。
(まぁ、普通動物ってペラペラしゃべったりしませんよね。童話の世界以外では、、。)

 おせっかいでお喋りな動物たちの仕草は、今は薄れてしまった隣近所の付き合いのようです。
​ 生かされている自分を繋がりの中に感じる時、人の心は和らいでいくのかもしれませんね。

 お読みいただきありがとうございました。​
​ 次回の里山散歩は、心を開く~”恋する森”の物語~をご紹介していきたいと思います。

 
~本の紹介~
『ブンナよ、木からおりてこい』水上 勉
​ とのさまカエルのブンナが、椎の木のてっぺんに登ったことから、そこで起こる弱肉強食、阿鼻叫喚の世界を見聞きします。
 綺麗ごとではない命の環を描くからこそ、この一瞬の生きるという意味を見つめさせてくれる物語。​
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